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高松高等裁判所 昭和26年(ネ)400号 判決

控訴人 井上音三郎

被控訴人 井上正一 外一名

主文

原判決を取消す。

被控訴人等の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人等の負担とする。

事実

控訴代理人は、主文と同旨の判決を求め、被控訴人等代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、

被控訴人等代理人において、別紙目録〈省略〉記載(一)及び(二)の塩田は被控訴人井上正一が、別紙目録記載(三)の塩田は被控訴人井上コヱが夫々訴外鎌田憲夫より買受け、これを所有しているものであるところ、控訴人は何等の権原なく不法に右各塩田を占有しているので、被控訴人等は所有権に基き右各塩田の明渡を求めるものである。仮に被控訴人両名において前所有者より土地賃貸人としての地位を承継したとしても、被控訴人両名は賃貸人たる控訴人に対し本件訴状を以て賃貸借契約解約の申入をしたから、その後一年を経過した昭和二十六年九月末日本件賃貸借契約は終了したものである。控訴人の後記主張事実を否認する。と述べ、

控訴代理人において、(一)控訴人が被控訴人主張の各塩田を占有していることはこれを認める。(二)本件塩田は訴外鎌田憲夫より被控訴人両名に対し譲渡後も控訴人をして引続き使用収益させることを条件として譲渡されたものであるから、被控訴人等において賃貸借契約解約の申入をしても右解約申入は無効である(被控訴人等は右鎌田憲夫より本件塩田をいわゆる小作附のまま買受けたものである)。(三)本件塩田の所在する坂出地方その他香川県下においては、塩田の使用収益につき形式的には地主との間に賃貸借契約が締結されているけれども、慣行により塩田の使用収益者は実質的には永小作権の設定を受けたのと同様である。即ち塩田の使用者は塩田の改良、設備の改善等に自己の労力資本を投入し、塩田の使用収益権は親から子へ代々相続され、その場合には相続税が徴収され、また塩田の使用収益権はいわゆる甘土権として売買の対象になり、その価格も底土のそれより高く、底土の価格と甘土権の価格の割合は四対六乃至三対七とされている。また塩田の所有者が変つた場合には塩田の使用収益権者はその権利を当然新地主に対抗することができる。従つて本件塩田につき控訴人の有する使用収益権も実質的には永小作権と同様の権利であつて、土地所有者は民法賃貸借の規定により解約の申入をなすことは許されない。(四)一般に塩田の賃貸借期間は相当長期間のものであり、民法に規定する最長期間の二十年を過ぎても正当な理由がなければ賃借人の意思を無視して地主において一方的に賃貸借の解約をなすことができない性質のものである。若し地主において一年前に賃貸借解約の申入さえすれば、一年後には塩田使用者は該塩田を地主に返還しなければならないものとすれば、塩田使用者は巨額の価値を有する甘土権を失うのに反し他方地主は無償でその甘土権を回収することとなり、かかることは著しく社会正義に反し且つ慣行を無視するものである。従つて本件の如き解約の申入は権利の濫用というべきであつて、無効である。(五)以上の主張がすべて理由がなく控訴人に本件塩田の明渡義務があるとしても、控訴人は本件塩田に対し多額の有益費(二百八十七万二千六百三十六円)を投入しているので、被控訴人等に対し右有益費の償還を請求する。と述べた外原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

〈立証省略〉

理由

昭和二十三年三月二十日被控訴人井上正一は別紙目録記載(一)及び(二)の土地を、被控訴人井上コヱは別紙目録記載(三)の土地を夫々訴外鎌田憲夫より買受けてその所有権を取得し、同年六月三十日右各土地につき所有権移転登記を経由したこと並に控訴人は前所有者鎌田憲夫より右各土地を期間の定めなく賃借しこれを塩田として使用収益し、現に右各土地を占有していることは本件当事者間に争いがない。

被控訴人等は、控訴人は何等の権原なくして不法に右各塩田(以下本件塩田と称する)を占有しているから、控訴人に対し所有権に基き本件塩田の明渡を求め、仮に被控訴人等において前所有者より土地賃貸人としての地位を承継したとしても、被控訴人等は本件訴状を以て賃貸借契約解約の申入をしたことにより(控訴人に対し昭和二十五年九月十五日本件訴状が送達された)、その後一年を経過した昭和二十六年九月末日賃貸借契約は終了したから控訴人に対し本件塩田の明渡を求めると主張し、控訴人は、塩田の所有者が変つた場合においても慣習により塩田の使用収益権者はその権利を当然新地主に対抗することができ、また慣行により認められている塩田使用収益権の性質内容に照し地主が一方的に賃貸借契約を解約することは許されず、かかる解約申入は権利の濫用であると主張するにつき以下審按する。

仍て先ず土地を塩田として使用収益する権利が如何なる性質内容を有しているかにつき検討する(以下便宜上塩田使用収益権を塩田小作権、塩田使用収益権者を塩田小作人と略称する)。原審並に当審証人大塚猛、同片岡利夫、同田丸重雄(但し原審は第一、二回)、当審証人長尾常太郎、同河野三八、同須崎勝太郎、同三木壮吉、同福本元一、同守田富吉、同鹿谷龍一、同中山正栄、同山地明行の各証言、当審における控訴本人の供述並に弁論の全趣旨を総合すれば、(一)本件塩田の所在する香川県坂出地方においては塩田小作権につき慣行により次のようなことが認められ且つ行われていること、即ち(イ)塩田小作権は相続の対象となり、塩田小作人が死亡すれば当然その相続人が塩田小作権を相続承継すること(この場合相続税が課せられ、当該塩田の価格の六割を塩田小作権の価格と査定して課税される)、(ロ)塩田小作権は土地所有権と別個に売買の対象となり、相当の対価を得て譲渡されること、(ハ)塩田の土地所有権が第三者に移転した場合においても、塩田小作人は塩田小作権を新地主に対抗することができること、(ニ)塩田の土地所有者は塩田小作人に対し一方的に賃貸借契約を解約し無償で明渡を求めるようなことをしないこと(これ迄特別の事情の存した場合を除き地主が塩田小作人に対し一方的に明渡を求めた事例はなく、若し明渡を求める場合は塩田小作人に対し相当の対価を支払うかまたは他の塩田の小作権を提供する)、(ホ)塩田の土地所有権(いわゆる底土権)塩田小作権(いわゆる甘土権)との価格の割合は大体四対六位とされていること(坂出市等が塩田を買収するような場合その買収代金の約六割が塩田小作人に交付される)、並に(二)塩田小作人は日本専売公社の許可を受けてかん水製造権を有し、かん水を製造するものであるが、塩業組合に加入し同組合に対し多額の出資をしていること(塩田半戸前当りの出資額は大体二十五、六万円、塩業組合が製塩施設を所有して製塩権を有する)を夫々肯認することができる。尤も当審証人岩瀬亀之進の証言により真正に成立したものと認める甲第二乃至第六号証並に同証人の証言に徴すれば、昭和十二年頃より昭和十五年頃にかけて塩酸合資会社なる会社が地主より塩田を賃借期間一年の約で賃借し、塩田作業を他の者に請負わせ、賃貸借契約及び作業請負契約を一年毎に更新していた事例を、また当審証人三木壮吉の証言により真正に成立したものと認める甲第七及び第八号証当審証人綾喜七の証言により真正に成立したものと認める甲第九号証、当審証人綾喜七、同三木壮吉の各証言によれば、塩田の地主が塩田作業を他の者に請負わせ、一年毎に作業請負契約書を作成していた事例を夫々認めることができるけれども、右のような事例の存することは未だ前記認定の妨げとなるものではなく、当審証人井上助之進の証言中前記認定と牴触する部分は措信し難くその他被控訴人等の提出援用に係る全証拠を以てするもさきの認定を左右するに足らない。

今本件の場合につき考察するに、被控訴人等は本件塩田を買受けてその所有権を取得したこと並に控訴人は前所有者より本件塩田を期間の定めなく賃借していたことは前記の通りであるところ、坂出地方においては塩田の土地所有権が移転した場合塩田小作人はその塩田小作権を新地主に対し対抗することができ、また地主は塩田小作人に対し特別の事情の存しない限り一方的に賃貸借契約の解約をなすことのできない慣習の存すること前叙認定の通りであり、而も右の慣習は塩田小作権の特質に鑑み同地方において一の法的規範を形成しているものと認められるから、控訴人は本件塩田の土地所有権を取得した被控訴人等に対し塩田小作権を対抗することができるとともに、被控訴人等は特別の事情の存しない限り控訴人に対し一方的に塩田賃貸借の解約をなすことは許されないものと謂わなければならない(塩田の賃貸借については農地法借地法借家法のような特別の成文法が存しないけれども、民法の賃貸借に関する規定がそのまま適用があると解することは相当でなく、坂出地方においては右の如く慣習法によつて律せられるものと解する)。而して右の「特別の事情」の存する場合とは塩田小作人が地主に対し著しく信義に反した行為をした場合或は公共的見地または社会経済上の見地より当該土地を塩田以外の用途に使用することが相当である場合その他正当の事由がある場合がこれに当るものと解するを相当とするところ、原審における被控訴本人井上正一、原審及び当審における被控訴本人井上コヱ各尋問の結果に徴すれば、被控訴人等は本件塩田を自己等が塩田として使用する目的で訴外鎌田憲夫よりこれを買受けたものであることは明らかであるとはいえ(但しその買受価格は金十九万五千円であつて、小作附の価格であることは当審証人長尾常太郎の証言に徴し認められる)、他方控訴人は明治四十三年頃より既に四十数年の長きに亘つて(大正十年頃本件塩田の土地所有権を前記鎌田に売渡す)、本件塩田において製塩に従事し、専ら製塩業により家族六人を養つているものであり、若し本件塩田の明渡を余儀なくされれば忽ち生活の資に窺するものであることも原審及び当審における控訴本人の供述に照し十分これを窺うことができ、他に格別本件賃貸借の解約を正当とする事由を認めるに足る証拠がないから、本件解約の申入は右「特別の事情」が存する場合に該当せず、従つてその効力を生じないものと断じなければならない。

尚被控訴人等は、被控訴人等が本件塩田を訴外鎌田憲夫より買受けるに先立ち、右訴外人は控訴人に対し本件塩田買受の意思がないことを確め、また被控訴人等も直接控訴人にこれが買受の意思の有無を確めたところ、控訴人は本件塩田を買受ける意思はなく、被控訴人等が買受けたならば本件塩田はこれを被控訴人等に明渡す旨言明したので、被控訴人等は控訴人の右言を信じて本件塩田を買受けた次第であり、控訴人は右約束に従い被控訴人等に対し本件塩田を明渡すべきであると主張するにつき審按する。原審並に当審証人井上末子、同井上助之進、当審証人大林リツ、同長尾常太郎の各証言、原審における被控訴本人井上正一、原審及び当審における被控訴本人井上コヱ各尋問の結果を綜合すれば、前記鎌田憲夫の番頭である川崎某が控訴人に対し本件塩田の買受方を交渉した際控訴人は買わない旨答えたこと、被控訴人等が本件塩田を買受けるに先立ち直接控訴人に対し買受の意思の有無を確めた際にも、控訴人は買受の意思のないことを言明したこと、当時(昭和二十二、三年頃)塩業界は最も不況の時期であつたため控訴人は成行によつては転業したい意向を有していたことを窺うことができるけれども、原審並に当審証人井上末子、当審証人井上助之進の各証言、原審における被控訴本人井上正一、原審及び当審における被控訴本人井上コヱの各供述中被控訴人等が本件塩田を買受けた場合控訴人が本件塩田を明渡す旨言明したとの部分は原審証人山内義通の証言並に原審及び当審における控訴本人の供述と対比してにわかに信を措き難く、他に控訴人が被控訴人等に対し本件塩田の明渡を約した事実を認めるに足る証拠がないから、被控訴人等の前記主張は採用できない。

これを要するに、叙上説示に照し被控訴人等が所有権に基き控訴人の不法占有を原因として控訴人に対し本件塩田の明渡を求める請求はその理由がないのみならず、民法第六百十七条の規定に基き本件賃貸借解約の申入をしたことを前提として本件賃貸借契約の終了を原因とする明渡請求もまたその理由がないこと明らかであるから、被控訴人等の本訴請求は控訴人の爾余の主張に対する判断をなすまでもなく、失当として棄却を免れない。

仍て右と異なる趣旨の原判決は不当であるから、民事訴訟法第三百八十六条によりこれを取消すこととし、訴訟費用の負担につき同法第九十六条第八十九条第九十三条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 石丸友二郎 浮田茂男 橘盛行)

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